身近な問題として「DV=ドメスティックバイオレンス」を考える

「女性に対する暴力撤廃国際日」の25日、初めて「紫色」にライトアップされた東京タワー。紫といっても光源が7色に限られているためピンクとブルーの組み合せになったのが、少し残念。(ジアスニュース/Boonie Boo)

11月25日は「女性に対する暴力撤廃国際日」だが、昨年のこの日はNPO法人全国女性シェルターネットの主催により、東京タワーのライトアップイベント「ダイヤモンドヴェール」が通常の点灯時間を延長し、初の「パープルイメージ」に染められたことを覚えているだろうか。

本来は同居関係にある配偶者間や親子間などに発生する家庭内暴力を意味していたDV=ドメスティックバイオレンスだが、近年では非同居のカップル間に発生する「デートDV」などの問題も顕在化し、広く「ジェンダーバイオレンス」として認識しなければならない状況。この問題が女性の人権問題をも含んで深刻、かつ重要であることには異論のないところだが、では、果たしてそれを身近な問題として認識できているのだろうか?もちろん当事者にとっては身近なのだが、問題意識は当然ながら被害者の側にしか発生しない。そして加害者側に加害の意識すらないこともあるのが、この問題をより複雑にしている。

そこで考えたいのが、コミュニティの本質。すなわち、コミュニケーションのチカラ。支配と非支配の関係性についての認識は、私たちホモ・サピエンスの場合には、すでに生物としての本能の領域を遥かに超えて、極めて恣意的なものになっている。つまり、多くの場合にその認識は、文化あるいは民俗的な環境や後天的な学習によって形成され、やがて個人の中に固定されていくものになっている。自分の認識や行動について、その是非を疑ってみるというのは、誰にとっても難しい。だが、自分の属する社会全体の認識や行動が正しい規範に支えられていれば、ヒトはなんら抵抗を感ずることなく、その規範を学び取り、身につけていく。いわゆる「お国柄」や「国民性」の部分は、そう簡単に崩れるものではない。

そう考えると、他者との関係性の中で多様性を受容すること、人権を尊重すること、さらには広くドメスティックバイオレンスの問題も、まずは身近なコミュニティの規範を是正し、あるいは明示していくことで、人々の意識の中に自ずと浸透していくものなのではないか。すなわち、DV問題はコミュニティという社会的環境、人間の関係性の問題ではないのだろうか。

(ジアスニュース/Boonie Boo)

*ジアスニュース、2009年11月26日の記事を改稿